中国人の「癖」&日本人の「根性」 ~ 「自己主張」の中国人と「控え目」の日本人

 中国人と付合いのある日本人なら、誰もが「中国人の自己主張は半端じゃない」と思うだろう。大体履歴書の内容から、自己PRの言葉が違う。「**語会話は熟練している」、「**の豊富な経験を有する」などの表現は、日本人から見ればそれだけにマイナスイメージを受けてしまう。
 では、中国人はなぜこうなったのか? 日本の社会では、「中国人はそういうもんだ」との認識が一般的だが、実は改革開放前の中国人は「控え目」で協調的だった。「自己主張」は鄧小平が主導した最初の「個人評価制度」という改革からできた「新しい癖」ではないかと思う。国営体制下の「鉄の釜」による悪平等を根絶させるために、個人をきちんと評価したうえ、昇進・昇給を実施するという方針の下で、住宅の配分まで学歴・職歴・実績などと関連させるようになった。一方では、「文革」という長い混乱期に、人々は「鉄の釜」にすっかりと浸かっていたため、能力的にも意識的にもさほど差がなく、評価するに当たっては、自己申告に頼ることが多かった。本人が黙っていると、誰もが配慮してくれない、せっかくの昇進・昇給チャンスは逃してしまう。だから、「自分のことは自分で必死に主張するしかな」い。近年、この傾向は更に強くなった。林立する高層ビルが目立つように、個性を表現するように作られているのもこの「自己主張の癖」とは無縁ではない。
 中国人の自己主張と相容れないのは日本人の「控え目」だ。仕事を任されて「僕に任せなさい」と返事した中国人は、すぐさま日本人の先輩から「こんなときには、やってみると謙虚にいいなさい」とアドバイスされた。常に周辺の目を気にする、相手の気持ちを気にする日本人はいい意味では協調性があるが、横並べ的な考え方が強い。また、中国人からみれば、その「控え目」は自信のなさ、或いは迷いとして見えてしまって当惑することが多い。
 文化や習慣には特徴があっても優劣はない。「自己主張」も「控え目」もあくまでも表現手法の違いで、その裏にある向上心や認めてもらいたい気持ちは変わらない。また、周りの支持や理解が得たいのも同じだ。この本質を信じて当たると、中国人と日本人とは案外いい付合いができるのだ。
 20年間日本で生活してきた私は実体験でそう言い切る。